2008年1月14日 (月)

リアクションがないので、次行きま~す

先回の記事、「鬱で悩む君へ」ですが

まぁ、リアクション(コメント)できるくらいなら、とっくに直っとるわ!

って感じなんでしょうかね?

このブログ、もともと「俺の経験談で楽になる人がいれば・・・」と思って始めたものなので

毎日、切な~い人生を送ってるあなた!

何でもいいよ、言ってごらん

と言いつつ、待ってばかりもいられないので

軽~い話題からいきますね~

2008年1月10日 (木)

鬱で悩む君へ

自分ばかりが悪いわけじゃないよ
怠け心ばかりでもない
やる気が無かったり、何も手に付かなくて前に進めないのは
病気なんだよ、鬱なんだ
自分ばかりを責めないで
時には、ひとに甘えるのも仕方ないじゃない
力になるよ、俺でよければ

2007年4月15日 (日)

俺が患者であなたも患者?

だいぶ前にも書いたけど、精神科に入院していた時の話

ある日、1階の売店から自分の病室に帰る時のこと

エレベーターに乗っていると、途中で病衣を着た若い女性と一緒になった

別に気にしてなかったんだけど、おもむろに

「○○さん、元気ですか? 私のこと分かります?」とその女性

俺は ????????????

病院内で他の部屋の人とは喋った事ないし、ましてや、こんな若い女性・・・

まだ ?????? でいると

「××です、看護婦(士?)の」と言われて・・・

少し間をおき、やっと理解できた

その看護士さんは、俺が入院10日目頃に(薬の副作用で?)パニック症状になった時手当てしてくれた人だった

でも、真っ先に思ったのは “看護士さんて、自分が勤務してる病院にも入院するの?” って疑問

「その節はお世話になりました」とお礼を言ってから少し会話したけど、確か、内臓の軽い病気だったと記憶している

まぁね、俺の場合、入院していたのが「精神科」だから後ろめたさみたいなものがあるけど

彼女にはそんな事重要ではないのかもしれないし

それに、たいした病気じゃなかったら同僚がいても平気だろうし?

普通に挨拶して、先にエレベーターを降りていった

自分の手当てをしてくれた看護士さんが、棟は違うけど同じ病院に入院している

なんか複雑な感じだった

偶然て不思議だし、病院も不思議

2006年11月 9日 (木)

鬱病と胆汁

雑学庫 知泉 10月29日の雑記の「ウツの豆知泉」に

”鬱病は紀元前から病気と認識されていてギリシャのヒポクラテスは「胆汁が過剰になるとおこる」ととなえた”とある

う~ん、あながち嘘ではないかも・・・

俺も鬱のような症状が長く続いてたわけだけど、3年前に社会復帰してからは、定期的に運動もしてわりと健康だった

去年の4月に初めて人間ドックを受けた時も、「もう痩せない方がいいですね(2年で35kgくらい減量していた)」なんて言われて健康そのもの、ただ一箇所をのぞいては

実は、1㎝くらいの大きさの胆石があると判明!

腹部のエコー検査で判ったんだけど、まったく思いもよらない結果にびっくり

胆のうがどっちのわき腹にあるかは忘れたけど、説明を受けながら再度触られると「イライラする部分」が確認できた

「痛くないようなら何もしないでOK。でも、将来的に痛くなる場合があるので、その時は胆のうごと摘出するかも」って医師に言われて・・・

”そんな簡単に取っ払ってもいい臓器なんかあるんスか?”って疑問が

鬱病にかかってる人が世の中にはいっぱいいるみたいだけど、皆さん胆汁が濃いんでしょうかね?

胆汁なんて出てる実感ないよね~?

2006年6月10日 (土)

エロカッコイイのは、ホントに良いのか?

世間では、「エロ○○○」と形容される歌手やタレントがもてはやされている

まぁ、エロいのは嫌いじゃないが、倖田來未はどうにも好きになれない

エロいと言うより、下品なんじゃないか?

心理学的には、女性の精神性より肉体性に惹かれるのは「精神的に成長していない」らしい

女性の好みは人それぞれだが、世の男性諸君!

「エロい」ことに偏ってないか?

多分、倖田來未は「戦略」でエロくしてるはずだし、グラビアに載ってる彼女達も「手っ取り早い」から水着になってるんだろう

売るための策略にまんまと乗せられてないか?

精神的に成熟した男は、「エロさ」には惑わされないんだとさ

2006年5月21日 (日)

不安・・・  

引きこもりから完全復活して早三年、しかし、今でも心療内科のお世話になっている

去年は精神的ストレスからくる偏頭痛があったりして、予約以外でもかなり診察を受けた

現在は安定しているので、2ヶ月に1回のペース

診察の日は朝8時半頃に病院へ行くのだが、すでに到着している人が何人もいる

初めて受診してからかれこれ10年くらいになるが、受診する人の多さにはいつも驚いてしまう。それだけ病んでいる人が多いのか?

8年前、4ヶ月入院してしまった訳だが、本当の苦しみは退院後にやって来た

退院まじかで自身の精神的苦痛に気づき、環境を変える、退院する事によって回復できると思っていたのだが・・・

入院末期に主治医に相談したり、カウンセリングなどを受けて出てきた自分の病名

「人格障害」

いまだに詳しい事は分からないが、正確には「ボーダー性人格障害」と言うらしい

退院して家に帰ってはみたものの、全く前向きな思考などできない

2週間ごとの通院を除くと全く外出はしない、食事の時以外は自分の部屋からも出ない

一日中布団の中に入り眠っているだけだった

自発的に眠ろうとし、また、眠ることができた

一生このままの状態が続くと思い、それでも仕方がないと思っていた

母からは「このままじゃ家が絶えてしまう!」と時々言われたが、言い返す気力など無かった

不甲斐ない自分に嫌気はさしたが、どうにかなるような状態ではなかった

自宅付近は民家も少なく来客もあまりないので、引きこもるには環境が良かったのかもしれない

それでも近所の人と遭遇する事を警戒し、平静を装ってはいたが、外出の際には人目を盗むように車に乗った

近所の人は皆優しく、子供の頃から温かく接してもらっていたが、知り合いの前に自分をさらす事が何よりも耐えられなかった

診察を待っている時間はとても長く感じられたが、精神的余裕もないので何も手につかない

周りには週刊誌や漫画雑誌を読む人もいたが、到底できはしなかった

ただただ順番を待つ

精神的にまいっていると判断力が鈍る、次の瞬間いったい何をすればいいのかさえも思いつかない

なんとも言いようのない不安、じっと下だけを見つめる

手が、指先が小刻みに震える

毎日が針の筵のようだった

今では心身ともに健康になった(つもり)が、もうこんな事は繰り返したりしないだろう

去年のとある日、心療内科の前に行くと、一人の青年が目の前に

その青年はやや下を向き、虚ろな眼差し

指先が微かに震えている

まるで過去の自分の姿を見ているようだった

その青年の精神的苦痛が手に取るように分かる、堪えようとはしたが涙が止まらない

自分を落ち着かせ、青年に小声で話しかけた

「今は大変だろうけど大丈夫、そのうち良くなるよ。そして、良くなったら怖いもんなしだから、 頑張って!」

青年は精一杯の”ぎこちない”笑顔で

「ありがとうございます」と呟いた

2006年2月21日 (火)

開閉範囲15㎝

入院していた精神科の病室は完全な隔離ではなかったものの、特定のエレベーターでなければ行けないところだった。

精神科は4階、5階はホスピスになっていた。

入院した日は精神科のベッドが用意できていなかったようで、一晩だけ一般病棟にいたが、看護士さん達は何故かよそよそしかった。

入院の手続きをする時主治医(女医さん)が言っていた、

「鬱ですが、薬を使えばすぐ良くなりますよ。」

毎日午前中に点滴をする、かなり大きな袋。

入院後10日くらい経った頃だろうか、夕食時発作のような症状になる。

箸をもったまま動かせない、口まで持っていけない。

「パニック」のような状態に陥る、しばらくして、なんとか看護士さんを呼ぶことができた。

鎮静剤?精神安定剤?だったのか、注射を打ってもらって横になっていたらなんとか治まった。

どうしてそのような症状になってしまったのか原因は分からないが、翌日から点滴をしなくなったことから考えると、副作用だったようだ。

それから飲み薬だけを服用し、これといった治療も行われない日々が続く。

「これはこれで怠け者の俺にはピッタリだ!」と思える毎日。

ある日、病院の職員がインパクトドライバーを持って病室に来た、窓枠に何かを取り付けている。

窓の開放を制限するストッパーだった。

「何故だろう?」と思っていたら、後日、こんな噂を耳にする。

「この前、○○さんが窓から飛び降りて亡くなったんだとさ。」

○○さんは60代と思われる女性、よくしゃべる活発な感じの人だったが、確かに数日前から姿が見えない。

自殺を臭わせる素振りはないようだった。

食事を摂ってゴロゴロしながらテレビを見るだけの毎日、人生も終わったと思っていた。

2ヶ月くらい経った頃からまた疼きだす、自分の存在をなくしてしまいたいという衝動。

夕食後、人目を盗んで屋上へ行く。

「この柵を乗り越えて、飛び降りれば楽になれる。」

そう思い、柵に足をかけて乗り越える、そしてコンクリートの向こうに見える地面を眺める。

でも、どうしても飛び降りることはできない。

そんなことを2週間くらいの間毎晩繰り返し、結局、飛び降りる勇気はなかった。

そんなある日、自分の中で何かが動き出す。

「このままでは辛すぎる、この苦しさをどうにかしたい!」

そう思えたのは、入院後4ヶ月が経とうとする頃だった。

2006年2月 9日 (木)

底なし沼

ニート、世の中にいっぱいいるみたいだね。

俺も働かないで家に引きこもってた時期があるから、大きな事言えないけど、ニートの皆さんはどういう心境でいるんだろ?

働いてない理由は人それぞれだろうけど、引きこもる人は真面目で責任感が強いんじゃないかな?それがアダになって躓くみたい。

俺、高校を出てから勤めた職場に13年くらいいたけど、基本的にはやる気がなかったから取り組み方もいい加減だった。 人には恵まれていたし楽しい仕事もあったけど、どこか「嫌々」だったな。

そんな職場から解放されて気楽だったし、次に何をやればいいのか判らなくてプータローのままでいた。 でもねぇ、それが間違いだったんだね。

暇だとやっぱり遊んでしまう、でも、それを基本的に良い事とは思っていない。そうするとストレスが溜まり、そのストレスを発散するためにまた遊んでしまう。

という「悪循環」に陥ってしまった。

仕事をしないで1年間プータローでいた結果、両親やいろんな人に迷惑をかけて、挙句の果てに引きこもった。 知り合いには自分の姿を見せたくなかった、惨めな俺を見られたくなかった。

最初は家の農作業を手伝っていたけど、そのうち食事も喉を通らなくなって急激に体重が落ちた。気力も失われ、布団に入っている時間が長くなる。

理想の自分と現実の自分の狭間で葛藤を続ける、そして、自分ばかりを責める。 もうそこからは抜け出せない。

両親は俺のことを心配して、家族旅行を提案。 でも、たぶんその時点で決めていたんだね、俺を精神科に入院させるって。

旅行から帰ってすぐ、俺に「入院しよう、お前は病気だ。」と両親が告げる。

俺はひたすら「自分は怠けているだけ、絶対病気なんかじゃない!」と思い続け、抵抗した。 結局、4ヶ月も入院したんだけど、他に選択肢は無かった気がする。

やりたい事が見つからずもがいている君! 

やりたい事なんてそのうち見つかるよ、とりあえずバイトでも良いから働こう。 そりゃ、正社員になって働けるのが一番良いかもしれない、でも、形なんて気にしないで「社会の一員」になろうよ。

やっぱり、一人の成人としては、社会に貢献できてないと思うことによって精神的なバランスが崩れるんだよね。

2006年1月18日 (水)

この世の鬼

「あなたは鬼を見たことがありますか?」

こんな質問をされたらどう思います?

「こいつ、頭おかしいんじゃねーの?」または、

「今の時代に鬼なんているわけねーじゃん!」

て思いますかね~?

実は俺、鬼を見たことがあるんです! って言っても、正確には鬼みたいな顔の人間ですけど。

9年前のある晩、当時俺はプー太郎だったんですが、行きつけのスナックに行きました。

カウンターに座り、一人で雑誌を見ながら飲んでいると、入ってきたお客さんが隣に座った。 俺は雑誌に集中していたので、隣の人の方は見ませんでした。

マスターとのやり取りを聞いていると、その人は以前も何回か来たことがあり、つい先日病院を退院したばかりとの事。 マスターと談笑してました。 女の子のいる店だったんで、当然女性についても話題に上ってました。

そんな偶然の隣人にふと目をやると、

なんと、鬼がいるじゃありませんか!

角はありませんでしたが、顔はまさに「般若のお面」でした。

一瞬にして俺のい心は凍りつき、怖くて怖くてその人の顔を二度と見たくないほどでした。

鬼が世間話をしながら笑っているのです、笑っていると言うか、声は笑っていても表情は鬼のまま。

店のコにも確認したんですが、そのコも鬼みたいだって言ってました。

今でも、「現実だったんだろうか?」って思います。 

う~ん、これは俺の推測ですが・・・

人間、「欲望」が強くなりすぎると表情が危なくなり、やがて鬼になってしまうのでは?

二度と遭遇しないことを願います、ナニトゾ、ナニトゾ!

2006年1月13日 (金)

先立つ不孝をお許しください

皆さん、遺書って書いたことありますか?(ちょっと題材が重すぎるかな?)

1回目の引きこもりになった経緯です。

「自分が担当した申請書が何処まで責任が及ぶのか?」なんて思い悩んだ結果寝れなくなってしまい、夜な夜な自分の部屋からの階段を下りたり上ったりを繰り返していました。

どこかへ逃げてしましたい、しかしそれもできない。

そんな状態のまま仕事に行っていましたが、ある晩、家族が私の「異状」に気づきました。

父と一緒に「精神科」をたずねたのですが、予約なしでは診察してもらえなかったのです。私も「精神科」に掛かることには抵抗を感じ、「いいよ、大丈夫」と言ってその場は予約もせず帰りました。

しかし、その後も仕事を続けた結果私の精神状態は限界に近づき、ある日無断欠勤をしてしましました。 通勤途中どうしても職場に行けず、車であてもなく彷徨いました。

ここでどこかへ逃げてしまう人もいるようですが、私はそんなこともできなかった。夕方には自宅へ戻りました。

一旦無断欠勤をしてしまうと、そこからは「なだれ込む」ように休職してしまい、やっと精神科にも受診となりました。 しかし、私はそんな状態でも「自分は嘘つきで怠け者、病気なんかじゃないんだ!」と、ずっと思い続けていた。

自宅療養を続けていたある日、自分の不甲斐なさや罪悪感から逃げたい一身で、処方された睡眠薬を全部飲ことによる「死」を決意しました。

長男である私がいなくなれば兄弟は病気の妹しかいなくなり、「両親はそんな妹の面倒を見ながら、身をあんじながら亡くなるのだろうか?」と思ったり、両親に対する不孝を思うと涙が止まらない。 泣きながら遺書を書き、生命保険の証書を枕元に置きました。

確実に逝けるかどうか不安でしたが、「自殺」をしまいた。 

したつもりでした。

しかし、気が付いたとき私は車に乗せられ、掛かりつけの精神科へ向かっていました。

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